ライブやラジオや面白い話は聞くだけで心を揺さぶられることがよくある。
むしろ視覚に頼らず聴力のみで情報を取り込むと足りない部分を自分の想像力によって補完するため、より自分の心に刺さったり感情的になることができる。
一方、それを実際に目で見てしまうとこんなものかと思うことがよくある。
そこには実物があり、良くも悪くもそれ以上でもそれ以下でもなくなってしまう。
本を読むことでも同じようなことがあると思う。
好きな漫画や小説が映画化されると落胆する人がいるのはそのせいだろう。
前に友達からあるドラマであった話を自分が聞いたときのこと。
その話とは、男性の家での証拠現場を抑えるためにクローゼットに女性が隠れているという話だった。
その女性は少しヒステリーな女性でその場を目撃したらそのクローゼットから出てきて男性を貶めるという話だった。
それを聞いたとき自分は泣きそうになるくらい怖いと思った。
それは自分の部屋に気づかないうちに人がいるということとそのあとどうなってしまうのかを想像したからだ。
ただ実際そのドラマを見たら数秒程度の出来事で大した恐怖も感じず拍子抜けをした。
これは想像力によって恐怖が増大された例だが感動する例だってある。
自分は歌詞のない曲だったり歌詞が直接的でない曲が好きだったりするのだがそれは歌詞によって聞き手に想像させる余地を減らす影響だったりもする。
「想像力によって情報を膨らませる」
これは素晴らしいことだし心を豊かにしてくれるが、今回はそれだけを言いたいわけでもない。
悪いことだってある。
逆に見ないといけないこと、
それは真実をしっかり自分で把握したり理解すること。
新興宗教なんかやワイドショーでも情報が片落ちで変に想像力を掻き立てられてしまってあることないことないまぜになって本当のことがわからないのに安易に判断をしてしまう。
芸能人の不倫スキャンダルなんかはまだエンターテインメントとしての部分もあるのでどうでもいいが政治や社会現象などはエンターテインメントと同じように扱うと危険。
ただ誰かから聞いただけ、テレビのワイド番組の情報だけを鵜吞みにしてあとは自分の想像力だけで情報を形成してしまう。
そういうことには実際に自分の目で見ないといけないこと、一方的な情報だけでなくもう一方の対峙した側の情報も取り込む必要があることなので簡単に判断できない事象だから常にそのあたりを認識しておく必要がある。
情報自体にもあいまいな表現ではなく正確な数値で議論できてるのか、いい所だけ抜き出した数値になってないか、エビデンスがあるのか、情報ソースがあやしくないかというのも大事。
自分の範疇の常識や想像力で物事を判断せず、相手の立場に立って考えることが重要な気がする。
これからも見なくていいこと見ないといけないことをこんな時だからこそ心がけながら心豊かに過ごしていきたい。
「想像力と観察力」
これを常に大事にしていたい。